- 作者: 若林正恭
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/メディアファクトリー
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: 文庫
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お笑い芸人のオードリー若林さんの自意識拗らせ系エッセイ本なのですが、同じく自意識拗らせ系な私にとっては他人事で済ませられない本でした(笑)
とても面白かったですよ。
しかしその本の中の、
「社会がぼくらの邪魔をしているんじゃないんだよね。ぼくらが社会の邪魔をしているんだよね。社会はそこにあるだけだから」
という台詞。
本書ではそれに対する若林さんの回答が書かれているのだが、僕にはそれがどうにも引っ掛かって喉を通らない。
いや、正論過ぎてそのまま呑み込むことが出来ないでいるだけなのだが。
ここでは社会の一つのとして会社や組織としましょう。
ドストエフスキーの研究で著名な山城むつみ先生の著書の中に、ドストエフスキー作品の登場人物像における性質の中に「ラズノグラーシェ(異和)」というものがあります。
対人における同調(ソグラーシェ)、不和(ニェソグラーシェ)と異なる性質で、「同調により不和が生じる」ことを差します。
同調のために言葉と精神が乖離する。そのために歪みが生じてしまう心理を「ラズノグラーシェ」と呼んでいます。
口下手で自意識を拗らせた身には社会に馴染むには身を切ってその形式に迎合する以外に方法を知りません。
八方美人にスマートな対応が出来たなら、初めからこんな悩みは生まれないでしょう。
そんな私はただ黙々と、仕事を人一倍こなす以外に社会に認められる術はないのだと感じています。
だが、仕事において円滑な対人関係が最重要事項なのか?そんなことはないと断言は出来ます。
しかし、構築済の組織の中にあって、既に完成された和の中に紛れ込む異和に邪魔者以外の役割を定めることが出来るでしょうか。
そんな疎外感と自身の組織の中での存在意義を疑わずにはいられない今日この頃なのでした。
……果たしてエルドラドはあるのだろうか?