七福蕎麦で会おう

自由を愛する自由人の音楽、小説といった創作やレトロゲームへの愛を綴るブログ。

押し入れの肥やしになるくらいのコレクションなら処分した方がいい。

コレクターにとってそのコレクションの量は自分がそれに対してどれだけ愛を注いだかが分かるものであり、人生を捧げた証とも言えるものです。

私自身クラシックCDのコレクターでかれこれ2000枚は所蔵しております。

しかし、コレクターには誰しも、いずれは訪れることになる所蔵スペースのキャパオーバー。

部屋を拡大するか、収納方法を変えるか、色々解決手段はありますが、

私は最近処分をした方がいいのではないかと思い始めるようになりました。

……いや、厳選するといった方がいいですね。

 

私の場合は収集を始めた高校生の頃に購入したCDなんかは(内容はともあれ)非常に思入れ深くてどこで買ったかなんてのも覚えているくらいのものと、単純に気に入っているものはそのままにしておきます。

そして聴かないだろうと思うものを改めてプレイヤーで再生し、最後の審判を下します。

そこから外れてしまったものは……お気の毒ですか……処分するようにしています。

 

選別したCDはの処分はヤフオクやメルカリ、CDの買取専門店(ディスクユニオンレコファン。よく利用させていただいています。)で売り払います。

クラシックやジャズみたいなコレクターやマニアが多いジャンルは何気ない盤でもレアだったりすることがあるので注意ですね。このジャンルだと利用者の年齢層の低いメルカリでは少々落札されにくいかもしれません。その点ヤフオクでは利用者の年齢層が高く、レアな盤なら買取専門店より高額で売れたりもしますが、最近では全体的に価格が低下してきていて思った額で売れなくなってきているみたいです。(Amazonの台頭が原因だとも聞きます。)

それにメルカリとヤフオクは出品の手間もあるので、よっぽどレアで高額で売れるものでなければ専門店に買取を依頼するのが一番手っ取り早いです。

 

そして、 押し入れに仕舞い込まれて長いこと聴いていないCDは早めに処分することを考えた方がいいかもしれません。

何故なら処分するにも状態が悪いと買取価格に響いてしまうからです。

 

高温多湿な日本では保管環境が整っていないと押し入れのような換気の悪い所に仕舞われているものは直ぐにカビを生やしたりシミになったりとダメージを受けてしまいます。書籍やレコードなんかもそうですね。

聴きそうにないものであれば、いい状態で処分を検討した方がいいですね。

 

 

処分と並行して私が実践しているのはCDのデータをパソコンに集約・管理をすることです。

処分する前にCDデータを取り込みアーカイヴを作っていつでもPC上で聴けるようにします。因みに私はウォークマン信者なので(笑)ソニーMedia Goを利用して管理しています。

(このアプリは現在提供が終了しており、代わりに「Music Center for PC」という新しいアプリが提供されています。)

勿論iTunesでも同じことが出来ます。

 

そしてそのデータを管理するにはPC内部のメモリーではなくHDDやSSDに保管しておきます。そうすることでデータ管理が容易になりかつPCをデータが圧迫することがなくなるからです。(因みに、CDプレーヤーよりもPCの方が読み取り性能が良いので音質が良いそうですよ……。)

 因みに、私の周りの好事家によればサムスンSSDの読み取り性能が良いそうです。

 

 

「会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。」を読んで居ても立ってもいられなくなったので書いてみた。

職場がでかい本屋の近くにあるので昼休憩の時間にはよく立ち読みをするようになりました。……勿論気に入ったものは買っていますよ(笑)

そこで今回出会ったのがこれです。

 

 実はまだ読み終えていないのですが、これまで形にならなかった感情が言葉を纏い沸々と湧き上がってきたのでブログにしたためてみようと思いました。

 

著書の青野慶久さんはサイボウズ株式会社というソフトウェア開発会社の設立者であり現在代表取締役の実業家。

タイトルに惹かれてこの本を手に取ったためそれまで全く存じない方でした。

サイボウズ株式会社を立ち上げた時期は典型的なブラック企業離職率も高く、業績も低迷していたそう。そんな会社の在り方を分析し、働き方を変えていった結果からの気付きが書かれています。

 

この本の表題にかかれている「モンスター」は何かを説明する時にまず 「会社とは何か。誰のためにあるのか。誰が会社を動かしているのか。」を明確にせねばなりません。

会社(本書ではあえて「カイシャ」と表記しています)とは、場所でも特定の人でもありません。ある理念の下に集った集合体ではあるのですが、会社に特定できる個はありません。

しかし社会のシステム上、そのビジネスで得たお金は会社に集まり、そこから分配されます。個のない会社にお金が貯まります。

そして個のない会社からお金を引き出し用途を規定するのは、社長……ではなく、これまた社会のシステム、会社法で規定された代表取締役。 

代表取締役ブラック企業の諸悪の根元、というわけではありません。

ですが、これまでの日本の会社の雇用形態や制度がその役職を堕落させる土壌を育んでおり、かつ理念の下に設立された筈の会社は徐々にその理念を忘れ(或いは達成された先を見据えることが出来ず)金儲けばかりを考えてしまうことになる。結果、お金は代表取締役(この役職は自分で好きに給料を決められるそう)の下に集まり社員はそれを肥やす働き蟻に……と、概要はこういった感じです。

 

不況だ人材不足だアベノミクスだなんだと言われていますが、問題なのはあらゆる既成のシステムが特定の利益のために更新されなくなってしまったこと、それを助長させたのがこれまでの制度、「終身雇用」と「年功序列」にあるのかなぁと思ったわけです。

 

とは言え、現在のシステムも微々ながら確実に破綻し始めているように思います。生き残るためには、破滅を回避するにはやはり変革が必要であり、サイボウズで実践された働き方改革の例がこの本に書かれています。

 

組織嫌いな私ですが、この本を読んでどうして組織はそうなってしまうのかの一端に触れられ、言語化された事象の数々に溜飲の下がる心地であります。

 

個々の経営者が青野さんの様なマインドを持てたら会社員の未来は明るくなるのだろうか……とか思いつつ、次に頁を走らせるのでした……。

好きなことを仕事に、の前に考えておけば良かったこと

好きを仕事に、よく転職や幸せになるための方法で掲げられる合言葉であります。確かに「好き」が仕事になった人、仕事に人生を乗せることの出来た人はとても生き生きして見えます。
私もその口で趣味であった音楽に関連する仕事に就いたのですが、これが誤算だったわけで……。
いや、誤算というよりは「その分野に関われるのなら何でもいい」と分析を怠った結果なのですが。


一口に仕事と言っても色々あるわけで、例えば音楽業界だけでも、

アーティスト・作曲家、アーティストのマネージャー、コンサートの企画、会場運営スタッフ、CD小売り、楽器屋、リペア、音楽評論などなど……。

それぞれが全く違うスキルなワケで同一業界と言えど全く異なるわけです。

必要なスキル以上に業種の気質にも大分差があります。
職人気質だったりチームワークを大事にするところだったり、中には忖度ずぶずぶな拝金主義だったり(笑)
当たり前と言えば当たり前なんですがこればかりは入ってからでなければ分からないところでもあります。

僕の場合は見事にその業種に対する適正がなかったわけです……。
(何かは具体的に言及は致しませんが。)
合わないが故に何度となく辞職を考えてはいるのですが、将来の展望から(主に金銭的な面で)辞められず……そこが解決されたら辞めちゃうだろうけど。

とは言え、今この仕事をして得た知見や気付きも沢山あるので一概に合わない=悪とも言い切れません。
この仕事に就いて色々な価値観を知れましたし色々な人に出会いました。良くして下さる方もいらっしゃいますし、好きな音楽に関する知識も深まってより楽しめるようにもなりました。
それでもやっぱり仕事や業界への不適正と自分がそこにいるという違物感が拭えず、重苦しい、不吉な黒い塊が常に襲ってくる訳です。


改めて感じるのは自分の適性を理解すること、自分が将来的にどこへ辿り着きたいかのビジョンを持つことが大切だと思います。
そこを見直してこの業界で何ができるか、或いは独立して新しいことを始めるか、はたまた全く関係のない、性に合った職を探すかは自由なわけです。
再分析と考察、そして知識のインプットによってそれらを円滑に進める事ができるのではないかと。
私は今がその転機なのだと感じています。

とは言え私は一体どこへ辿り着きたいのやら……。


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おまけの近所の猫さん。嗚呼、こんな風に生きたい……。

他人に与えるとは、

自意識過剰を分析している内に一つの分かった事がある。

それは拗らせていると自分の事しか考えていないということだ。

他人の目が気になる。嫌われたくない。
社会と自分のギャップ、肥大した自己愛を貶めたくない自尊心。

……恥ずかしいくらい自分本位な考えしかしていなかった。


では、他者のことを考え、他者のために出来ることは何だろうか?

それは与えることだと思う。

だが、一体何を与えれば良いのか?

自己犠牲なんて大仰なものは必要ない。

只小さな世界を保つ程度でいい筈だ。

自分の周りの人はどんな恩恵を社会に与えているのか。
分析してみる価値はありそうだ。

社会とは、そこにあるもの

最近読了した一冊。

お笑い芸人のオードリー若林さんの自意識拗らせ系エッセイ本なのですが、同じく自意識拗らせ系な私にとっては他人事で済ませられない本でした(笑)
とても面白かったですよ。


しかしその本の中の、

「社会がぼくらの邪魔をしているんじゃないんだよね。ぼくらが社会の邪魔をしているんだよね。社会はそこにあるだけだから」

という台詞。
本書ではそれに対する若林さんの回答が書かれているのだが、僕にはそれがどうにも引っ掛かって喉を通らない。

いや、正論過ぎてそのまま呑み込むことが出来ないでいるだけなのだが。

ここでは社会の一つのとして会社や組織としましょう。

ドストエフスキーの研究で著名な山城むつみ先生の著書の中に、ドストエフスキー作品の登場人物像における性質の中に「ラズノグラーシェ(異和)」というものがあります。
対人における同調(ソグラーシェ)、不和(ニェソグラーシェ)と異なる性質で、「同調により不和が生じる」ことを差します。
同調のために言葉と精神が乖離する。そのために歪みが生じてしまう心理を「ラズノグラーシェ」と呼んでいます。

口下手で自意識を拗らせた身には社会に馴染むには身を切ってその形式に迎合する以外に方法を知りません。
八方美人にスマートな対応が出来たなら、初めからこんな悩みは生まれないでしょう。

そんな私はただ黙々と、仕事を人一倍こなす以外に社会に認められる術はないのだと感じています。

だが、仕事において円滑な対人関係が最重要事項なのか?そんなことはないと断言は出来ます。

しかし、構築済の組織の中にあって、既に完成された和の中に紛れ込む異和に邪魔者以外の役割を定めることが出来るでしょうか。


そんな疎外感と自身の組織の中での存在意義を疑わずにはいられない今日この頃なのでした。

……果たしてエルドラドはあるのだろうか?

【Amazonプライムミュージックで聴ける極上クラシック】シュワントナー:打楽器協奏曲

 

Chasing Light

Chasing Light

 

 今回は少し変化球な選曲。

 

ジョセフ・シュワントナー:打楽器協奏曲

クリストファー・ラム(独奏打楽器)/ジャンカルロ・ゲレーロ(指揮)/ナッシュヴィル交響楽団

 

現代アメリカの作曲家で、殊に『…そしてどこにも山の姿はない』で有名なシュワントナー。

日本では吹奏楽の作曲家としての知名度が圧倒的ですが、管弦楽作品も多々リリースされています。

 

その中で私イチ押しが打楽器協奏曲。

シュワントナー作品は点描的な音使いと研ぎ澄まされたハーモニー。そして打楽器群とオーケストラによるダイナミックな音響が特徴的であると思いますが、この協奏曲はそれらのエッセンスが最大限に発揮された作品です。(きらきら、どこどこ、がっしゃーん。)

数少ない打楽器協奏曲の中でも指折りの名曲ですよ。

 

この盤には『朝の抱擁』、『光を追いながら』の二つの管弦楽作品も録音されています。どちらもシュワントナー節満載の素晴らしい作品です。(あくまでも現代音楽の括りですが。)

 

 

 因みに打楽器協奏曲は他にもいくつか録音があります。

※プライムミュージックで視聴できません。

The Music Of Joseph Schwantner / Slatkin, Glennie, National SO, et al

The Music Of Joseph Schwantner / Slatkin, Glennie, National SO, et al

  • アーティスト: Joseph Schwantner,Leonard Slatkin,Vernon Jordan,Washington National Symphony Orchestra
  • 出版社/メーカー: RCA
  • 発売日: 1997/09/16
  • メディア: CD
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 エヴリン・グレニー(独奏)/レナード・スラットキン/ナショナル管弦楽団による世界初録音盤。スラットキンはシュワントナーの『無限の余韻』という管弦楽作品も録音しており、この盤も完成度の非常に高い演奏です。グレニー女史のダイナミックなソロも充実の極み。

併録のマリンバ独奏の『ヴェロシティーズ』、キング牧師の演説に曲を付した『新たなる時代の黎明』もかっこいい。

おススメの1枚なのですが、残念ながら廃盤……。

 

 

 そしてこちらは吹奏楽(ウィンド・アンサンブル)ための作品集。

※プライムミュージックで視聴できません。

Composer's Collection: Joseph Schwantner

Composer's Collection: Joseph Schwantner

 

 『…そしてどこにも山の姿はない』『暗黒の一千年代』『静められた夜に』『リコイル』と有名曲は網羅されています。演奏もユージン・コーポロン/ノーステキサス・ウィンドによる共感に満ちた充実の演奏。

もちろん打楽器協奏曲も吹奏楽伴奏(ボイセンJrによる編曲)。

 

 

 現代音楽と言うと拒否感を覚える人って結構いるのですが今一度「現代音楽」って何だろうと考えてみると面白いと思います。

確かに私もセリエリズムとかの無機質な現代音楽は苦手なのですが……かといってそれだけが現代音楽の姿ではないのです。言うなれば新作は全て「現代」音楽ですからね(笑) 

とは言え百聞は一聴にしかずです。その一聴が自分の中の固定概念を覆すかもしれませんよ。

 

【Amazonプライムミュージックで聴ける極上クラシック】マーラー:交響曲全集 ティルソン=トーマス

前回に引き続き、アマゾンプライムで聴くことのできるマーラー交響曲を紹介したいと思います。 

Mahler: Symphony No.9

Mahler: Symphony No.9

 

   

Symphony 7 (Hybr)

Symphony 7 (Hybr)

 

 

Symphony No.3 Kindertotenlieder

Symphony No.3 Kindertotenlieder

 

 

Lieder Eines Fahrenden Gesellen Rckert-Lieder Des

Lieder Eines Fahrenden Gesellen Rckert-Lieder Des

 

  マイケル・ティルソン=トーマス指揮、サンフランシスコ交響楽団によるマーラー交響曲全集+歌曲集です。

(全集なのですが個別に配信されていて全て上げるのがめんどくs……もといスペースの問題で聴いて気に入った演奏をリンクで貼りました。)

 

ティルソン=トーマス(通称MTT)はバーンスタインの愛弟子とも言われており、アメリカもの、特段ガーシュウィン演奏の第一人者でありますが、マーラー交響曲録音においても師匠顔負けな素晴らしい録音を残しております。

バーンスタインの演奏は全身全霊を込めた密度の濃い演奏に対してティルソン=トーマスはスタイリッシュな明晰さ中にも劇性を持っていて、それらを自在に引き出す匠の演奏と言いましょうか、バーンスタインの演奏を情念過多と感じる人にはとても聴きやすい演奏だと思います。

 

ちなみにちなみに、交響曲第3番は以前ロンドン交響楽団と録音されたものも存在します。※こちらはプライムミュージックで視聴できません。 

マーラー:交響曲第3番/リュッケルトによる5つの詩

マーラー:交響曲第3番/リュッケルトによる5つの詩

 

 第3番は2度目の録音ということもあってか、深化したサンフランシスコ響での演奏は2004年度のグラミー賞を獲得していたりします。

 

そしてこの全集にはしっかり『大地の歌』も含まれています。が、これも特殊で、テノールバリトンが歌っております。

Das Lied Von Der Erde (Hybr)

Das Lied Von Der Erde (Hybr)

 

 テノールのスチュアート・スケルトンが少々快活すぎる声音かとも思いましたが、表現幅が広くそうした違和感はすぐに拭い去られました。バリトンのトーマス・ハンプソンも明るめな声音ではありますが、この曲の憂いの寂しさを見事に歌い上げています。

 

 

初めてこの一連の録音を見た時はそこまで期待をしていなかったのですが、一聴にしてその魅力の虜になりました。

こうした意想外の出会いがあるのもクラシック音楽の面白さでありますね。

そんな出会いを与えてくれるプライムミュージックという宝の山をこれからも開拓していきたい所存です。